大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(行ウ)175号 判決

原告

相澤行一

同(兼右法定代理人親権者父)

相澤宏明

同(同母)

相澤貴美子

原告

井頭士彦

同(兼右法定代理人親権者父)

井頭克彦

同(同母)

井頭いく井

原告

後藤晴久

同(兼右法定代理人親権者父)

後藤保

同(同母)

後藤敏江

原告

坪内京子

同(兼右法定代理人親権者父)

坪内吉弘

同(同母)

坪内良子

原告

川上幸美

同(兼右法定代理人親権者父)

川上幸延

同(同母)

川上千恵子

原告ら訴訟代理人弁護士

浅井利一

高池勝彦

武川襄

三堀清

被告

文部大臣

森山真弓

右指定代理人

青野洋士

外七名

主文

一  本件訴えをいずれも却下する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、別紙教科書目録第一記載の図書について平成四年二月二九日(目録番号六記載の図書については平成四年三月三一日)に行った教科用図書検定につき、主位的にその無効であることの確認を求め、予備的にその取消しを求める。

第二事案の概要

一本件は、文部大臣によってなされた平成五年度用の中学校の社会科(歴史)教科書に対する教科用図書検定につき、平成五年度より中学校に進学予定の者及びその両親らが、右教科書には日本軍の南京占領の際の状況に関して事実無根の記載があり、教科用図書検定の依るべき基準に反するものであるから、それを教科用図書として使用することを認めた右検定は無効又は違法であるとして、右検定の無効確認又は取消しを求める事案である。

二教科用図書検定に関する法制

1  学校教育法(以下「法」という。)二一条一項によれば、小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならないとされ、右規定は、中学校(法四〇条)、高等学校(法五一条)、盲学校等(法一〇七条)に準用されている。

2  教科用図書検定規則(平成元年文部省令第二〇号、以下「検定規則」という。)三条は、教科用図書の検定の基準は、文部大臣が別に公示する教科用図書検定基準の定めるところによるとし、それを受けた義務教育諸学校教科用図書検定基準(平成元年文部省告示第四三号、以下「検定基準」という。)が右基準を定めているが、その内容は、本件に関係のある限りにおいて、以下のとおりである。

(一) 総則

学校教育法に規定する小学校、中学校並びに盲学校、聾学校及び養護学校の小学部及び中学部の教科用図書の検定において、その教科用図書が、教育基本法に定める教育の目的、方法など並びに学校教育法に定めるその学校の目的及び教育の目標に基づき、第二章(各科共通の条件)及び第三章(各科固有の条件)に掲げる各項目に照らし適切であるかどうかを審査するものとする。

(二) 各科共通の条件

(1) 政治や宗教の扱いは公正であり、特定の政党や宗派又はその主義や信条に偏っていたり、それらを非難していたりするところはないこと。

(2) 図書の内容に、特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと。

(3) 図書の内容に、誤りや不正確なところ、相互に矛盾しているところはないこと。

(三) 各教科固有の条件(社会科)

未確定な時事的事象について断定的に記述をしているところはないこと。

三争いのない事実

1  原告らのうち、未成年の子ら(以下「原告子ら」という。)は、平成五年四月から中学校に進学予定の者であり、その余の原告らは、いずれも原告子らの父母(以下「原告父母ら」という。)である。

2  被告は、別紙教科書目録第一記載の中学校用の社会科教科書(以下「本件教科書」という。)について、平成四年二月二九日(目録番号六の教科書を除く。)法二一条一項、四〇条及び検定規則に基づいて教科用図書検定を実施した(以下「本件検定」という。)。目録番号六の教科書については、原告は検定がなされた日を平成四年三月三一日と主張し、被告は同年二月二九日とするが、いずれにせよそのころ右教科書についても教科用図書検定がなされたこと自体に争いはない。

3  本件教科書は、平成五年四月より中学校において採用される全ての社会科(歴史)用教科書であり、それには別紙教科書目録第二記載の記述が含まれており、右記述は、これを要約すると次のとおりである。

(一) 日本軍は、南京占領当時女性や子供を含む多数の中国人を殺害した。その数は十数万人から二〇万或いは三〇万人にも及び、南京虐殺事件といわれる。

(二) 南京虐殺事件は、当時世界から非難を浴びた。

(三) 日本国民は、当時この事実を知らされなかった。

四争点とこれについての当事者の主張

原告らに本件検定の無効確認ないし取消しを求める法律上の利益があるか否かが本件の前提問題としての争点となっている。これに関し、当事者は次のとおり主張する。

(原告の主張)

1(一) そもそも、憲法二六条の背景には、国民各自が一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成実現するために必要な学習をする固有の権利を有し、自ら学習することのできない子供は、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念がある。親は、その自然的関係から子供に対して教育をなすべき権利と義務を負い、したがって、親が子供の教育内容・方法を決定する権能を有することは歴史的に見れば明白である。

しかし、全国民に等しく教育を受ける権利を保障するための、公教育の場としての学校制度を前提とすると、かかる制度を設営しうるのは国のみであり、他方、一般に社会公共的な問題について国民の全体的意見を組織的に決定実現すべき立場にある国は、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてこれを決定する権能を認められる。そして、普通教育においては、児童・生徒に批判能力がなく、また学校・教師の選択の余地も乏しいので、教育内容の中立性や正確性を確保すべき要請や、教育の機会均等を図るうえからも全国的に一定の水準を確保すべき要請から、国の教育内容に対する介入方法として、教科書の検定制度が設けられているものである。

(二) 原告子らは現在公立小学校の六年生であり、平成五年四月には中学校に進学し、本件教科書のいずれかを使用することになっている。しかるに、本件教科書には、検定基準の定める各条件に全く適合しない、およそ教科書としては不適切な記述があり、原告子らは、本件教科書を使用した授業を受けることによって、一方的に不正確で偏った知識・観念に基づく教育を受け、必然的に不正確で偏った知識・観念を植え付けられる。その結果、原告子らは、健全な常識人としての自己実現をはかるために、正しく偏りのない知識や物の見方、考え方の尺度を身につけるために自ら学習し、また親を含む大人一般に対して教育を求める権利を侵害され、ひいては、思想・信条の自由を侵害されるにいたるのである。したがって、原告子らは、本件検定の効力を争う法律上の利益があるというべきである。

(三) 原告父母らは、親子間の自然的関係から、子供の将来に対して深い関心を持ち、かつ配慮するべき立場にあるから、子供に対して教育をなすべき義務を負い、かつその教育内容・方法を決定する権利を有するものである。したがって、原告両親らは、自らの教育の自由の侵害を理由として本件検定の効力を争う法律上の利益があるというべきである。

2(一) 例え、検定制度によって原告らの受ける利益が反射的利益に過ぎないものとしても、検定の内容が甚だしく真実を逸脱し、その結果受ける不利益が極めて重大である場合には、生徒及び親はその検定処分の効力を争う法律上の利益があるというべきである。なぜなら、義務教育において、生徒は検定済教科書の使用を義務付けられており、その検定済教科書に明らかな誤りがあるのに、それに対して生徒が何らの異議を述べることができないとすれば、憲法に定める教育基本権の侵害になるからである。

(二) 本件教科書においては、南京事件に関し、およそ今日極端に扇動的な文書でしか見られないような虚偽の事実を記載しており、このような記述のある教科書を検定合格させ、強制的に学習させることは、明らかに憲法に違反するものであり、仮に、国民の教育権が積極的に適正公平な教育を受けさせることを求める具体的権利でないとしても、少なくとも、あからさまな虚偽の事実を教育されることを拒否する自由権としては具体的な権利であるというべきである。

(三) 最高裁第三小法廷平成四年九月二二日判決(いわゆる「もんじゅ」事件判決)においても、原子炉設置許可処分について、住民個人の権利又は利益を保障する手続は何ら規定されていないにもかかわらず、最高裁は、原子炉設置許可処分という住民に重大な利害を及ぼす可能性のある行政処分に対しては、住民に無効確認又は取消しを求める資格を与えている。

(被告の主張)

1 原告らは、その訴えを基礎付ける権利として、憲法二六条の保障する教育を受ける権利を主張するが、右権利は、国が同条の趣旨にのっとって現実に教育に関する立法をすることにより初めて当該法律の下においてその定める限度で個々の国民にとり個別具体的なものとなるのであって、そのような法律の規定を離れて、憲法の右規定から直接個々の国民の個別具体的な権利が発生するものではないから、右権利をもって原告らの本件各訴えについての法律上の利益を基礎付けることはできない。

また、原告らは、憲法一九条を根拠とすると思われる思想・信条の自由を本件検定による被侵害利益として主張するが、同条の保障する思想・信条の自由は内心における精神活動を意味するものであって、教科書検定自体は、右の内心における精神活動の自由に対し、何ら制約を課するものでないから、これらも原告らの本件訴えについての法律上の利益を基礎付ける権利となるものではない。

2 原告らの憲法を根拠とする権利や自由の主張が、仮に、原告らの個別具体的な利益に関する主張であるとしても、右利益は、検定制度あるいは検定についての法令の関係規定により原告ら各個人について個別具体的に保護されたものではなく、検定制度を初めとする教育諸制度の実施の結果、学校教育において適切な教育内容の確保等が図られることにより反射的に受ける事実上のものに過ぎず、原告らの本件訴えについて法律上の利益を基礎付けるものではない。なぜなら、教科書検定の目的及び仕組み並びに本件検定に係る関係法令等の規定の内容に照らせば、教科書検定制度及びその実施としての検定は、全国の一定学年の児童・生徒全員という極めて広範囲の者を集団としてとらえて、これらの者が受ける普通教育の内容に関し、教育の機会均等の実質的保障、全国的な教育水準の維持・向上、教育の中立性と適正な教育内容の確保、児童・生徒の発達段階に応じた適切な教育的配慮の実現という公益を目的とするものであり、個々の児童・生徒に対し、その有する能力の違いや、教育環境を基礎付ける諸条件等に対応して、公正で偏りのない内容の教育を受けることを個別的に保護するものではないからである。したがって、教科書検定制度及びその実施としての検定によって、児童・生徒が何らかの利益を受けるとしても、それは、教科書検定制度の反射的ないし事実上の効果として、集団としてとらえた不特定多数の児童・生徒が同様に共通して受ける抽象的、平均的、一般的な利益であり、教科書検定制度が目的とする公益の中に吸収解消されるものである。

第三当裁判所の判断

一本件検定が抗告訴訟の対象となる処分であるか否かについて

抗告訴訟の対象となる行政処分とは、行政庁の行う行為のうち、その行為によって国民の法律上の利益に直接影響を及ぼすことが法律上認められているものをいうものであるところ、中学校等においては、文部省の検定を受けた教科用図書又は文部省が著作権を有する教科用図書のみの使用が認められている(法二一条、四〇条、五一条、一〇七条)のであるから、教科用図書検定によって、図書の著作者及び出版者に対し、その図書について教科書として使用されうるという資格が付与されるものというべきであり、右検定はこれらの者の法律上の利益に直接影響を及ぼすことが明らかである。したがって、本件検定は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるというべきである。

二原告らに本件検定の無効確認又は取消しを求める法律上の利益があるか否かについて

1  行政事件訴訟法三六条、九条にいう当該処分の無効確認又は取消しを求めるについて法律上の利益を有する者とは、当該処分の根拠となった行政法規によって保護された利益を有する者をいい、当該行政法規が公益の保護を目的とした規制を行っていることの結果として反射的に保護されることとなる利益(以下「反射的利益」という。)を有するに過ぎない者は含まれないというべきである。

したがって、原告が行政庁の処分を抗告訴訟の対象とするについて法律上保護された利益を有するか否かを判断するに当たっては、当該処分の根拠となった行政法規が原告の利益の保護をその目的の中に含んでいるか否かがまず検討されなければならず、当該行政法規が原告の利益の保護をもその目的として含んでいるといえる場合においても、それが、そのような利益を、個人の個別具体的な利益として保護するのでなく、一般公益の中に吸収解消させ、一般公益の保護を通じて、付随的・反射的に保護するに止まると解される場合には、なお、原告適格を肯定することはできないものというべきである。そして、右の解釈をするに当たっては、当該行政法規の文言及び表現において原告の利益を個別具体的な利益として保護する趣旨が読み取れるか否か、右利益の重要性が一般公益に吸収解消しえないものであるか否か、右利益が個人の具体的利益として一般公益から区別して個別化しうる性質を有しているか否か、右利益が処分によって直接的に侵害される関係にあるか否かという点、或いは、当該行政法規において、不服申立を認める等、原告に対して手続的な権利保障が与えられているか否かという点が検討されるべきである。

2(一)  これを本件についてみるに、本件検定の根拠となる法及び検定規則並びに検定基準において、教科用図書検定の目的を明らかにした規定はないが、小学校教育の目標として、郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うことを挙げ(法一八条二号)、この目標は、中学校教育においてもなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこととされている(法三六条一号)。そして、検定基準において、教科用図書検定は法に定める教育の目標に基づいて行われるとされ、審査項目として、政治や宗教の扱いは公正であり、特定の政党や宗派又はその主義や信条に偏っていたり、それらを非難していたりするところはないこと、図書の内容に、特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと、図書の内容に、誤りや不正確なところ、相互に矛盾しているところはないこと、未確定な時事的事象について断定的に記述をしているところはないこと等が掲げられており、これらを総合すると、本件検定が、中学校教育を受けるべき子らに対し、正しく偏りのない知識や物の見方、考え方の尺度を身につけるという利益、即ち、不正確で偏った知識・観念を植えつけられることのない利益を保護することを目的の一つとして含んでいると解することはできよう。

なお、親は、子の将来に対して深い関心と配慮を寄せる立場にあることから、子の教育内容について一定の独自の利益を有することはいうまでもないが、このような利益は、子に対して適正な教育がなされるということによって間接的に保護されるに過ぎないものであって、法及び検定規則並びに検定基準においても、右のような親の利益に意を用いたような規定は何ら存在しない(検定基準において引用する教育基本法においても同様である。)。そうすると、本件検定は、子の教育に関する親の利益を保護するものではないというべきであるから、原告父母らについて、右の法律上の利益を肯定することはできない。

(二) 右(一)のとおり中学校教育を受けるべき子らについては、本件検定の根拠法規がその利益を保護することを目的の一つとして含んでいると解することができるとしても、それは、教科用図書検定が適正に運用されることによって実現されるべき、教育の中立、公正、機会均等の確保、全国的な教育内容の一定水準の維持等の公益の保護を通じて、中学校教育を受ける児童・生徒ら全体を、その共通する一般的・抽象的な利益について保護してゆこうとするものであると解される。すなわち、まず、法及び検定規則並びに検定基準は、いずれも、法の規定する各種学校の目標に応じて、それぞれの段階に必要な教科用図書の検定を行うことを定めたに過ぎず、生徒個々人につき、その発達や能力の違いに応じて、具体的に検定の在り方を定めたものではないことはいうまでもない。また、検定を受けた教科用図書を利用して教育を受ける者は、全国の同学年の児童・生徒全員という極めて広範囲の者であるから、教科用図書検定において想定されるのも、必然的に、個性を捨象した平均的な生徒とせざるをえず、前記法等が抽象的な定めを置いていることも事柄の性質上当然のことである。更に、教育について有する原告子らの利益は、人格を形成する段階にある者にとってのものとして重要な意義を有するが、その使用される教科用図書が、その受ける教育内容を決定するものとまではいえないうえに、学校教育のみが生徒の人格形成の場の全てではないことからすると、教科用図書の検定に関する原告子らの利益を個別具体的に保護するのではなく、一般公益の実現を通じて間接的にそれを保護してゆくという立法政策を取ることには充分合理性がある。また、検定規則上、図書の著作者又は発行者については、教科用図書としての検定を受けるべき申請権を付与されており(同規則四条、七条)、不合格とする場合の理由通知、反論の聴取等(同規則八条)、一定の手続的な権利保障が与えられているが、それ以外の者についてかような手続的保障は存在しない。

(三) 以上の点からすると、原告らの利益は、いずれも本件検定に関し、その根拠法規において保護された利益とはいえず、右法規の目的とする公益の保護を通じて得られる反射的利益に過ぎないものというべきである。したがって、原告らについて、本件検定の無効確認ないし取消しを求める法律上の利益を肯定することはできない。

3  原告らは、検定制度によって原告らの受ける利益が反射的利益に過ぎないものとしても、検定の内容が甚だしく真実から逸脱し、その結果受ける不利益が極めて重大である場合には、原告らにはその検定処分の効力を争う法律上の利益があると主張する。

しかしながら、教科用図書検定によって受ける原告らの利益が法律上保護されているものといえないことは前記のとおりであるから、例え、検定の内容が著しく真実から逸脱していたことがあったとしても、その是正は別途の手段に待つべきもので、それによって原告らの利益が法律上保護されるに至ることとなるものではない。なお、原告らの挙げる最高裁判決は、原告適格を基礎付けるべき「法律上保護された利益」か否かの判断に当たって、行政法規が行政処分を通じて保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮すべきであるとしたものであって、行政処分の違法性の軽重を問題にしたものではないから、原告らの主張を支持するものではない。

第四結語

よって、原告らの訴えはいずれも不適法である。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官喜多村勝德 裁判官長屋文裕)

別紙教科書目録 第一、第二〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例